例えば、主人に対して・・・
~~な時に~~な態度を取るのが許せないと常々思っていたのが
自分こそ、~~な時に~~な態度を取ってると、気が付くこともあります。
許せないのは、自分と似ているからだったのかと、驚きました。あ、でも今の私はそれで自分を責めたりはしませんよ。
自分にもそんな部分があったんだなぁと、ただそれだけの事。気が付いたことがうれしくさえあります。
人は、たとえ間違いを犯しても、「ダメ」なわけじゃない、とも思っています。
 

やっぱり「無意識」な部分に気がつくのは本当に難しかったです。
そして、人には本当にたくさんの「無意識」があるみたいです。それに気がつくヒントは、過剰な反応でした。
絶対、死ぬほど、全然、異常に、など、最上級の言葉を使いたくなる時になにかがあるみたい。

   絶対ダメ・・・ダメかどうかは「絶対」ではない。ダメにしたいのか??
   絶対違う・・・他人からみたら、違うようには見えないみたいだけど?
   全然気にならない・・・・ただ気にならない、だけで済ませられない何かがある?
   異常に(誰かが)嫌い・・・・いわば嫌い嫌いも好きのうち??
   死ぬ程(誰かの行動が)嫌・・・本当は相手のようにしてみたい??
こういう言葉で形容したくなる時、自分の本当の気持をゆっくり探ってみると・・・
自分で気が付くのは本当に難しいのですが、もしかしてと疑ってみると、何かのきっかけにはなるかもしれません。
 例外はあると思うのですが、上記の言葉は自分のためのちょっとしたヒントになりました。
 
無意識は無意識で放っておけばよいのでは?せっかく無意識なんだから、わざわざ意識することもないのではないか、

と思われるかもしれませんが「無意識」の部分の考え方の癖で、生き難いと感じているとき、
まず、「無意識」を意識するところから始まるのかもしれないなぁと思いました。

たくさんの「無意識」に気が付いて、カウンセリングを受けてきて、今の私はずいぶん身軽になりました。

家庭での居心地がずいぶん楽になりました。