そんな頃、ちょっとしたきっかけで話をするようになった人がいました。なんとなく気になる存在になるのに時間はかかりませんした。

そしてその人は今まで好意を持った人とはタイプが違っていました。

 

今までは、あまり自分のことを大事にしてくれないような人を好きになる傾向があったのです。周囲から見ると、いかにも信用できなさそうな人を好きになるとさえ言われていました。それでもきっと私だけはこの人の良いところを見つけてあげることができる、そんな風に思っていた記憶があります。だから穏やかな安心感を持つような相手を好きになることはありませんでした。そんな気持ちは物足りなくて愛情ではない気がしていました。

 

それが、競うわけでもなくければ合わせるわけでもなく、また気持ちを試す必要がないくらいに信じられる気持ち。ただ一緒にいると心地いいと思える感覚に、自分の気持ちがゆったりとほぐれていくのに気がつきました。

そのまま自然とお互いの気持ちを確かめ合い交際へと発展しました。

 

そんな時ふと浮かんだのです。

しあわせかどうかは自分が決めるものなんだなぁ、と。

そして、今この感覚はしあわせというのかもしれない。いや、これがしあわせなんだと。

変に思われるかもしれませんが、好きかどうかは自分が決めていいんだなぁ、そんな気持ちがふと湧き上がってきました。

誰かの期待にこたえるのではなく、自分で自分の期待に応える、そんな風に言ってもいいのかもしれません。

 

それでも、そんな気持ちを感じているうちに、もう一歩のところで相手を信じることが怖い気持ちがありました。

しあわせに向かって一歩踏み出すのがなんとなく怖いのです。

特に何かの理由はないのだけれど、なんとなく勇気がいる感じでした。

そして自分の選択にも最後の最後で自信がないというか・・・。

これでいいのかという思いがありました。昔のなじみがある感覚に引き戻されそうな気がしました。

 

そんなに時もやっぱり小さなころの自分の声が聞こえてきました。

心配性だった親が、何かをしようとする小さな自分にあれこれ注意をしてくるのです。

それは応援してくれているようでいて、その言葉は「あなたはきっと失敗する、きっと間違える」と聞こえてきます。

小さい頃は、結局うまくいかなかった時に親が手助けしてくれたりして「やっぱり親の言うことは正しかった、自分はきっと失敗するんだ」と思うこともあったかもしれません。


 でも、よく考えたらそれからもう何年もたって、大人の女性に成長したのです。

 そして今の私には、自分のしあわせを自分でみつける力があるはずです。心の底からそう思いました。

そして、自分が心地よく過ごせる相手を選ぶのは自分、ぜんぶ自分が決めていいのだと思いました。

自分には感じる力も決める力もある。

自分の人生を自分で生きていこう。そんな感覚が浮かんできました。

その感覚を確かめているうちに、小さな自分の笑顔が見えた気がしました。

あたたかい感覚はやがて自分の心の中にしっかりと居場所をみつけ、そこに居続けています。

今となっては昔からその感覚があったような気さえします。


 思えばカウンセリングを受けようと思ったところから、すでにこの変化は始まっていたのかもしれません。