自分と向き合おうと決めた時に自分の頭に浮かんできたのは、自分というものを自分でもよくわかっていないことでした。

自分って何だろう・・・・自分はどんな性格?自分の好みは?自分は何をしたいのか、自分は何が欲しいのか・・・・考えれば考えるほどよくわかりませんでした。


カウンセリングでは聞かれることに答えながら自分の今までを振り返っていると、いつも誰かに評価をゆだねている自分がいました。

誰かが気持ちよくいられたり、誰かに認めてもらったり、何かの評価を得ることができたら、自分という存在が認められる気がしていました。

だから誰かが言うとおりの自分でいれば幸せになれる気がしていました。


 誰かって誰だろう・・・・・。

 

恋愛を楽しもうと思った時に何が私の中で邪魔をするのかなと探ってみると、なんとなく自分自身が女性であることを楽しんでいないような感覚が浮かびました。例えば毎月の生理は憂鬱以外の何物でもなかったし、仕事も頑張ってはいるけれど、なんとなく壁を感じている。女性であることにどことなくネガティブな感情を持っています。女性でいる自分が幸せでいるイメージがわいてきませんでした。誰かに頼ることでしか成立しないような感じがするのです。


そんな時、自分の中にいる小さな自分に身を置いてその感覚を感じてみると、目の前にいるのはその頃の両親です。
そうやって自分の中の「少女」として自分を見つめ直すことで大きな気付きがたくさんありました。

揺れ動く敏感な心をもつ思春期、母にとっても娘にとっても大切な日々であり、難しい日々なのかもしれません。
母親自身が身をもって女性である喜びを伝えることができたら、親子でその思いを共有できていたら、どんなに素敵だったでしょう。もしかしたら母も女性であることを楽しんではいなかったかもしれません。続けたかった仕事を出産を機にやめた母は、「あなたのために」「女は損だ」そんなセリフをよく口にしていました。本当は小さな私を大事に思ったから仕事を辞めたのかもしれないし、仕事にかこつけて育児にあまり協力的とは言えなかった父親への気持ちを子供にぶつけてしまっていただけかもしれません。そんな母を見ている小さな私は、それが自分のせいだと感じていたり、また自分も同じく女性であることになんとなく引け目を感じていることに気が付きました。

例えば、遠い昔に初めての生理を迎えた時、今にして思えば、こんな風にしてくれたらよかったな、と感じること。
あの頃は恥ずかしくて口に出してはいけないことのような気がしていましたが、
あの頃、嫌だったな、ああだったらよかったな、・・・・そんな気持ちを、今現在の私が心行くまで感じることで、
今更・・・・と思っていたような昔の感情に片が付くのです。過去は変えられないけれど、昔の感情にけりがつくことで、今の自分の考え方受け止め方にも変化が起きました。それはもう不思議なほどに・・・・・。

まず第一に、おしゃれをすることがとても楽しくなりました。
そして、何より、自分のことが好きになってきたのです。なんとなく自分の価値というものに気が付いてきた感じです。
「自分には価値がある」なんて言うセリフはまるで映画やドラマの脚本のようで、現実味がなかった気がしていましたが、
そう口にすると、全くその通りだ、当たり前のようにそんな感覚が生まれてきました。